2001年
やっとS15に乗れる♥。中古でsS15シルビアをゲット。でも当時の写真がない(汗)。(それまでの愛車歴はR32スカイラインタイプM→シルビアS13→シルビアS14)
2002年
ブーストアップ&車高調。どストリート仕様。憧れだった18インチホイール買ったり、車いじりが楽しい時期(今も楽しいけど(汗))。ネオバで確か1分6〜7秒。
2003年
タイヤをSタイヤに変更〜。当時17インチ255のA048。ブーストアップで筑波1分4秒。
2004年
タービンいれたい〜〜。ってことでスコーチのショーケースに入っていたBLITZの新品ターボ(K27MOJ-KA)を勝手につける。(その後長年に渡り借りパクすることになるが、これマジラッキー(笑)。)馬力は450馬力に(ピース)。
こんときの筑波タイムは1分1〜2秒。
2005年
当時ショップデモカー&プロドライバーでのシルビア記録が筑波59秒。で・・・その車両はエアコン&オーディオ付きだったっていう事もあって、おいらも目標をそこにセット。通勤快速仕様で筑波1分切りを目指したが・・・
結果は1分0秒7。寸止め1年目。(通勤快速仕様と言いながらホリンジャーシーケン投入。フル公認とって町中でガチャコンしてたっけ・・・)
そしてこの年みんなで耐久レース始めました。
2006年
今年こそは分切り!と意気込むも結果は1分0秒3。ブーストもノーマルエンジンで1.8キロもかけてたのに・・・。寸止め2年目。(←当時のおいらは新品タイヤがミラクルなタイムを叩き出してくれるってことを知らなかったわけで・・・。夏におろした中古タイヤでアタックしてた(汗)。出るわけないよね〜。)
仲間での耐久レース出場なんかも全盛期たっだころ。
2007年 (分切り達成の年)
分切りチャレンジ3年目の年。新品タイヤでアタックしてみたらあっさり59秒入り。(←新品タイヤって、すばらし〜ってことにやっと気づく(汗))。筑波分切り達成〜。59秒2。タイヤは255の17インチA048 。
みんなで早朝箱根ドライブ行ったりしてた頃。
耐久レースのほうは初の24時間耐久にもチャレンジ。耐久レースなのに予選合戦になりノスたいたりしてたっけ。パワステトラブリながらも完走。(眠いし、寒いし、ハンドル思いし辛かったぁ〜)
2007年5月 アンダー鈴木発足(ブログスタート)
JDMオプションブログ、サーキット周回担当ってことで何故かおいらが指名され。(←たぶんだれでも良かったんだと思う(笑))。この日、アンダー鈴木を命名され、ブログスタート。アンダーの由来はアンダーステアのアンダー。画像からもわかる通り、当時そうとうアンダーステアに悩んでいたことから襲名(笑)。
2008年
2007年のフル装備の車両で分切りしたことをきっかけに、本格的なボディー作りを開始することとなる。偶然にもシルビアS14の堀越弟号もニューボディー製作中でどっちが速く作れるか競争〜。場外バトルとか言われてたっけ(笑)。工場ではボディー、自宅では配線内職って感じで進めて一年付き切り。なんとかシーズンギリギリにシェイクダウン。
しかしタイムは全く同じ59秒2。(笑)。(←シェイクダウンだから仕方ないけど大変だっただけにちょっと残念。)
2009年
当時の主流は17インチのA050。軽い車両だと18インチはタイヤを潰せないとか色々な事が言われていた。そんな訳ないとタイヤはデカイが偉いに決まっていると時代に逆行!?し265の18インチを投入。シーズンイン早々、アマチュアRWDコースレコード樹立(57秒354)。やっぱりタイヤはデカイほうがいい♥。そしてスーパーナウの今様FCとやりあった年(笑)。56秒台の争いになり、気合を入れた最後の決戦でパイピングが『ポンっ』と抜け、負けて終了〜。
エボミで初の15ラップレースが開催され、優勝〜。
この年から色々な事がエスカレートし、新品タイヤ2セット使用とか、ドラガスが必要になるほど馬力が欲しかったり激しかったな。長年使い続けているBLITZタービンMOJ-KAでエンジンパワーはドラガス仕様で700馬力(ブースト2.3キロ)。
まだ56秒も出てないのに七夕の願い事が54秒(笑)。
あとはオプ2シルビア横転事件(汗)。
2010年
何年たっても外装見た目ボロボロ。鉄板フェンダーぶっら切りに、ベニアのアンダーパネル。シーズンはじめ早々に筑波アマチュアコースレコード56秒394を記録。その後セッティングを繰り返し、アマチュア初55秒代入りを達成。
2010年 夏
ある日突然、スコーチに外人がやってきた。それはWTACの主催者であるイアンさんだったの。聞けば海外の雑誌においらの車が載っていたらしくそれを頼りにやってきたとのこと。ポンコツで速いシルビアがいるって・・・。それがおいらだったわけですが、イアンさん曰くWTACに参加しろって・・・。そりゃ出たいけど、無理でしょって、丁重にお断りしたんだけど、いいから来いってことになりWTAC2011に参加することがここで決定。この日からですよね。おいらの人生にWTACが組込まれたのは(笑)。何月何日だったんだろうか?記念日にしてもいいかも(笑)。
2010年 秋
オプション2誌、連載『アンダー鈴木のやり過ぎDIY』掲載スタート。その後4年以上に渡る長期連載となった。
2011年 冬シーズン
スーパーマテリアル、ドライカーボンをDIYすることに成功〜。必死にドライカーボンをつくろうと色々と探っていたところ、御殿場のカーボン屋さん山口さんと出会う。この年もおいらの人生にとって大きなターニングポイント。
御殿場の仲間たちと出会い、その人達の人生もやや狂わせてしまった(笑)。いま思えばこの辺りから被害者の会は拡大していったのかもしれない・・・。
一年かけてオリジナルバンパー&フェンダー、アンダーパネルをパテ成形。
東京オートサロンにてドライカーボンをまとったシルビアの初お披露目。
ターボもGCGへ変更し、筑波シーズン最終戦に800馬力で望むもオイルポンプ破損により大切な2.2Lエンジンがフルブローし、閉幕。
WTAC2011
初の海外遠征。英語が全くできない3名のみでオーストラリア入り。練習日にホリンジャーミッショントラブル、現地で早速DIYときた。結局徹夜でオーバーホール。他にもコレクタータンク溶接割れで溶接機借りたり、もうヘトヘト。大会最終日ではそのミッションも全損でリタイヤ終了。総合5位で不完全燃焼。
2012年 冬シーズン
WTAC2011より投入しているドライサンプ式ナプレック製フルチューンエンジン&エアロボンネットなど各部空力も進化。新サイズが設定されたA050 295/30のお陰で53秒も視野に入っていたが、天候などのタイミングも悪く54秒162にとどまった。
WTAC2012
WTAC2年目。また初日からトラブル。練習日にエンジンオイルラインフィッティングが緩み油圧がゼロに、エンジン壊しちゃったんじゃないかってかなり焦りましたがギリギリセーフ。車両はオイルまみれ、全バラ清掃でまたもや終了は深夜。翌日もサージタンク割れが判明、不足がつづく。1日目から3位キープのまま最終セッションで自己ベスト更新するものの、順位は4位転落。表彰台を逃す(泣)。
2013年 冬シーズン(チューニングカーコースレコード樹立)
タイヤサイズは295/30から35扁平に拡大されたおかげで飛躍的にタイムアップ。新しいリヤフェンダーや2mの2枚ウイングなどの効果もありRWDコースレコードを更新、続いてクリアラップで走りたい!!と前代未聞の一人で筑波サーキット貸し切りを決行〜。そこでオールオーバーでのチューニングカーコースレコードを樹立。52秒649。うれしかったなぁ〜。
WTAC2013
WTAC3年目。遠征はだいぶ慣れて来ているものの、やはりオーストラリアは一筋縄では行かず(泣)。エンジンルームの熱がこもりパワステがオーバーヒート。症状ひどく、ラック含めシステムをフル交換。その翌日は、熱害でエアクリーナーが破損。その破片ををターボが吸い込みタービンブロー。トラブルはあって寝てないけど、感触は上々。車も手応えあり。最終セッションへ向け、新品タイヤを2セット温存し、やる気満々。でしたが・・。コースは一周オイルがまみれ。(ついてない・・)それでも諦めず最終アタック。そしたらなんとドラシャがポキリ。(更についてない・・・)でもまだ諦めず10分でドラシャ交換。再アタック。PBは更新し1分27秒台に突入するもののベストアタックならず。(未熟な感じが出ちゃったなぁ〜)この年もまたまた世界4位。悔し〜。
2014年 冬シーズン
もあパワーってことででっかいターボ&サイドマフラーにするために大幅にレイアウトチェンジ。でもこれに時間がかかり結局、一度もアタックできないままシーズン終了〜。(泣)。
WTAC2014
世界レベルに少しでも近づけるよう車両を大幅に変更〜。リヤサスペンションをダブルウィッシュボーン化し、前後トレッドも拡大。新作フロントワイドでんだと必要なダウンフォースを確保するためリヤトンネルを製作。リヤウイングも3枚ウイングへ変更。大幅な改造によりセッティングはすべて新規でやり直し、国内テスト走行時から多くのトラブルが発生し、サスペンションセッティングも十分に出来ないままオーストラリアへ。エンジンにダメージを抱え1周しか出来ない状況の中、ラストセッションですべてをまとめRWDコースレコードの1分24秒代を記録し世界2位に。念願の表彰台ゲット。終わってみれば、1位とのタイム差は何と100分の4秒という僅差だった。
WTAC2020
250km/hオーバーからの大クラッシュ。シャーシに大きなダメージを追ってしまう。
WTACの主催者イアンべーカーがアンダー鈴木の復活のためのクラドファンディングを計画してもらう。
世界一になるために2年間作り続けた新車はわずか数ラップの走行で250キロでクラッシュしシャーシは大きく歪んでしまいました。私は来年WTAC2020に戻るために今から車の製作を始めます。世界中のタイムアタックレーサー、モータースポーツ愛好家の寄付は、私の大きな力になります。心から感謝します。
アンダー鈴木